〽 目には青葉 山ほととぎす 初松魚(鰹)
ご存知の方も多いと思いますが、この季語あふれる俳句は山口素堂という歌人の作品。「目に映る新緑の青葉、山でほととぎすが美しく鳴いているのが聞こえ、何と言っても食べておいしい初鰹」こんな意味だそうです。
なぜ、青葉とほととぎすといった季語を重ね、さらに最後に初鰹を持ってくるのかというと、この歌が詠まれた江戸時代では季語として外せないほど初鰹が重宝されていたことが大きな理由です。この句の他にも初鰹が使われた俳句はたくさんあります。
では、どうして初鰹などの初物が重宝されるようになったのでしょうか。
初物は縁起がいい
これには様々な言い伝えや理由があるそうです。
1年の初めてのものを食べると運気が上がり、幸運が訪れる。また、初物はシーズンを迎え、初めてとれることから他の食べ物にはないパワーや生命力、生気が溢れており、それを食べることで新たな生命力が宿り、寿命が75日延びると言い伝えられていたようです。(たった75日?!と思いますが、当時平均寿命は短く、75日でも長く生きられればありがたいとされていたそうです。)
中でも、初鰹は活きがよく、よりエネルギーや生命力を感じられ、特に人気の初物でした。初鰹のシーズンである初夏は、実りや収穫の季節である秋に比べ初物は格段に少なく「新茶」か「初鰹」の二つが主となり、それも大変貴重と感じられる理由になったとのこと。また、「かつお」は「勝魚」と言われ、勝負ごとに勝てるなどから、縁起がいいといわれたのも理由の一つです。
初鰹と江戸っ子
さて、そんな縁起のいい食材である初鰹。粋の精神を重んじる江戸っ子たちですから、黙ってはいられません。我先にと一番乗りで食べるのが粋であることの証。しかし当時初鰹は今に換算すると1本30~40万円と非常に高価。そのため「まな板に 小判一枚 初鰹」と詠われたり、また「女房子供を質に置いてでも~」といわれるほどの人気。
実はこの江戸っ子と初鰹の関係ですが、実は私たちの住む焼津も関わっていたのです。当時鰹は江戸では獲れませんでした。一方焼津は江戸時代から鰹の水揚げなど漁業の町として栄えており、水揚げされた鰹は高速艇「押送船」(焼津では八丁櫓という名前で有名です)という船で、日本橋の魚河岸に運ばれます。運ばれてくる量も少なく貴重であり、この時の鰹の値は1本約40万円。ですが、人気なゆえにすぐに売り切れてしまったそう。
ところで、現在でもポピュラーな鰹タタキ。それに薬味としてにんにく、生姜、を添える食べ方が江戸時代から続いていたのはご存知でしたか?
当時は今のような冷凍技術や水揚げ地から消費地への高速輸送手段などはありませんでした。アシが早い鰹はすぐに鮮度が落ち、臭みが出てしまいます。そのため、消毒の意味を含め、表面を炙ったタタキにして薬味と一緒に食べるようになったと言われています。
そんな江戸時代から好まれてきた初鰹ですが、今年も春を迎えシーズンに入ろうとしています。昨今では様々な技術が発達し、あらゆる食材が本来の旬以外の時期でも簡単に手に入るようになっていますね。便利な反面、食を通して季節を感じるということが昔よりも減ってしまったと感じます。
しかし旬に穫れる食材は栄養価も高く、食べることでその時期の人々の体にとって必要な栄養もたくさん摂ることができるのです。まさに、初物にはエネルギーや生命力が宿っていると言えます。食育や、季節を感じる心を豊かにするため、今一度、旬の食材の取り入れ方を見直してみるのも大切ですね。
みなさんも今年は新鮮な活きのいい初鰹を食べて心も体も健康になりませんか?
初鰹と旬の食材を使ったレシピ集はこちらからご覧いただけます♪
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